*こちらの文書は、クリスチャンになった当初、
ある異端宗教にはまってしまった方に送らせて頂いたものを
2009年に編集したものです。

今でこそ、日本にもクリスチャンが
驚異的に^o^増え広がっていると思われ感謝ですが
まだ当時はそれほどではありませんでした。

そこで、まるで隠れキリシタン文書のように ^^;)
一部の人にしか観られない
隠しページのようなものとしてアップしておりました。

その後、何故だか気恥ずかしく封印してしまっていました。

どこにあるのかもわからず探しまわり、
今回、何年かぶりに読み返してみました!

ぜひ一人でも多くの人たちに伝えたい内容だと思いましたので
長くなりますが、もし宜しければシェアさせて頂ければ幸いです m(_ _)m


私の大好きな日本は、キリスト教国でない事をとても残念に思いますが、
一般的にはクリスマス、バレンタイン、そしてイースターなどもお祝いし、
人々は教会で結婚式を挙げ、キリスト教の歌や十字架にも
親しみを覚えていて下さる方が多いことは、
喜ばしいことに違いないと思っています。

日本をこよなく愛する私は、幼少から欧米で20年を過ごしてきた理由で
人一倍日本に対する思い入れが強いのでしょうか (o^^o)

日本の人々は、キリスト教精神が豊富であるのにも関わらず、
クリスチャン人口が極めて少ないという事は
大きな謎の一つであり、また悲しい事実でもあります。

キリスト教は、単なる西洋の一宗教などでは無く、
私たち日本人にとって決して無関係のものではないと思っています。

日本古来の文化を知るほどに、
キリスト教との関連性に気付かされる事があります。


神社の鳥居を赤く染めるのは、災厄を防ぐためとも言われていますが、
旧約聖書では人々が悪霊から身を守るため、
各家々の門構えの縁取りを羊の血で赤く染めたと伝えられています。

また、日本のお祭りで担がれるお神輿は、
聖書に出てくる神の契約の箱にそっくりです。

日本古来の着物は、聖書に出てくる
イエス・キリストの装いに大変よく似ています。
それは西洋の洋服のようなものでは無く、限りなく日本の着物に近く、
くるぶしまで長くおろした衣に、帯を腰に絞めたものでした。

日本で日々仏様に備えるお線香は、西洋の文化にはありませんが、
仏教よりも古いキリスト教では、神の神殿において常にお香を焚いていました。

また、時代劇などに出てくる「お天道様(おてんとうさま)」の語源は
「天のお父様」(お天父様)であるように思えてなりません (^^;)

日本でよく使われる言い回しなどにも、聖書の引用が知らずに浸透しているようです。

「目からうろこ」 
*パウロが真実を知った際、目からうろこのような物が落ちたとあります。
「三位一体」 
*父(神)と子(キリスト)と聖霊(天使)を、三位一体と言います。
「信じる者は救われる」 
*イエスキリストを信じる者は救われるとあります。

不思議な事に、仏教やお寺のマークは鉤十字であり、
それはユダヤ人を虐殺したナチスにおいても使用されていた
「反キリスト」の象徴です。

その昔、日本にキリスト教が布教された頃にも、
300年以上にも渡るキリスト教弾圧があったようですが、
仏教が弾圧されたという歴史はないようです。

この世に属してしまうという事は
すなわち悪の支配下に流されるという事に相違ないような気がいたします。

この世においては、
人々に真実が伝わる事を恐れる悪の支配下にあるため、
真理を悟ることは大変困難な事ではありますが、

ほんの小さなきっかけでも
それらを伝える事が出来ればと願っています (*’’*)



多くの方がすでにご存じかと思いますが、
キリスト教について簡単に説明させて頂きます。

「旧約聖書」は、神様がこの地球を創造される所から始まり、
イエス・キリストがこの世に来られるという予言の数々で終わっています。

「新約聖書」は、イエスの誕生から未来に起こる出来事
「この世の終末」までが綴られています。

旧約は古い訳で新約は新しい訳の聖書だと、
勘違いされている方も多いようなのですが、

旧約は神様からの「旧い約束」、
新約は「新しい約束」という意味なのです。

聖書には、

「世紀末になると、ありとあらゆる宗教がこの世にあふれ、
自分がキリストの生まれ変わりである、この世の終わりは近いと恐怖心を煽り、
人々を惑わせる偽予言者が次々と現れるが、決してそれらの者に耳を傾けてはならない、
この世の終わりがいつ何時であるかは誰も知らない、ただ天の父なる神のみぞ知る」

というまさに現代を象徴しているようなイエスの御言葉があります。

数ある異端宗教では、たくさんの偽教祖などが人々を騙しておりますが、
それらの人々が偽物である事が一目瞭然なのは言うまでもありません。

彼らはどんなに立派な事を言ったとしても、いくら修業を積んだとしても、
私たちと同じただの人間にしか過ぎないのです。

この宇宙も、地球も、人間も。。天地万物を創造された全知全能の神は、
この世の人間の罪が余りにもはびこり、神に背くようになった事に心を痛め、
約2009年前に、聖霊の力によりマリアの胎内にイエス・キリストをお与えになりました。

進化論の教えは、アメリカではすでに覆され、全てが科学者たちによる、
ただの仮設と細工によるものに過ぎなかったという事実も発表されています


キリストは私たちと同じ人間では無く、
33年の生涯をこの地球上でおくられ、その間たくさんの人々を癒され、神業を行われ、
一つの罪も犯すことなく十字架に架かられ、全ての人間の罪を背負ってくださいました。

何の罪も無い完璧な神の一人子だからこそ、
全人類の罪をあがなう事が出来たのです。

人間になられたイエス様は、
人間の気持ちも又手に取るようにご理解下さったのでしょうか。

究極の苦しみの最中、十字架上で

「神よ、どうか彼らをお許し下さい。
彼らは何をしているのか、自分でわからずにいるのです。。。」

と天の父なる神に祈って下さいました。

この祈りは、
現代を生きる私たちに対してなされた祈りでもあります。

罪深い私たちと神様の仲介者となって下さったのは、
この世において、唯一イエス・キリストだけです。

このような偉大な御業が2000年以上前に実際に起こりました。

この出来事を信じ、
またイエス・キリストを心から信じ受け入れる事が出来る者が赦され、
変えられ、そして永遠の命が与えられるのです。

信じるだけで神の子供として下さると、
お約束して下さった神様のお言葉に立ち返る事は
たやすい事に感じられますが、
現実的には人間にとってはこの上もなく難しいことでもあります。

神は、人間ひとりひとりに、
神を追い求める心の空洞を備えられたといいます。

キリスト教を真似た異端の新興宗教にはまってしまう方達の多くも、
そのような心の渇きを覚えたのかも知れません。

その純粋な気持ちも、間違った方向へ向かってしまうと
とても恐ろしいことになってしまいます。

地球上での人間の命はとてもはかないものです。
だからこそ一人でも多くの方達に伝わるようにと願わずにはおられません。

聖書の中で神様は、
「離れていく者は、離れていかせなさい。」と悲しみを覚えながらも
本人の意思を尊重されています。

何故ならば、神は人間を
ロボットのように自分の意のままに動かせる存在では無く、
それぞれに自由な意思をお与えになられたからです。

神に従うのも、背くのも、全ては本人にかかっているのです。

もちろん、神様は一人でも多くの人間が神を信じ、
救いに導かれる事を望んでおられます。

全世界の人間を、一人残らず愛されておられるからです。



キリスト教の教えでは、輪廻転生はありませんので、
異端宗教でよく用いられる、キリストが生まれ変わりのかたちをとって
この世に現れる事はないのです。

十字架に架かられ、三日目に死からよみがえられ、
天に昇られた時と同じお姿で今も生きておられます。

天に帰られる前にイエスは、
「あなたがたが見たこと、聞いたことを全て
全世界の人々に伝えて行きなさい。

私は世の終わりに必ず戻って来ます。

ただし、その終末がいつ何時であるかは誰も知ることはない、
私は突然予告もなしにやって来ます。
だからいつも目を覚ましていなさい。

わたしはいつも、いつまでもあなた方と共にいます。。」
と言い残されました。

これがキリスト教の始まりです。

※ユダヤ教やイスラム教も、
元々は同じ全知全能なる神様を信仰していますが、
イエスキリストを神のひとり子とは認めておらず、
未だにメシア(救世主)を待ち望んでいます。。

前世や輪廻転生を信じる事は、
自分自身を大切にする気持ちが薄れてしまうような気が致します。

たとえいい加減に生きたとしても、
ゲーム感覚で全てを「リセット」出来ると考えてしまい
その分、自殺願望も高くなってしまうかも知れません。

私たちは、生まれる前から死んだ後も
ずっと同じ魂を持つ一人の者です。

だからこそ尚更、大切な一つの生命です。

この世は、あっという間に過ぎ去りますが、
あの世においては永遠の時間が流れているのであれば
人としての人生は、ほんのプロローグに過ぎないのはないでしょうか。

宗教戦争などの争いも含め、全ては人間の罪による結果です。

また、一人でも多くの人間が滅びに至ることを望む
サタンの仕業によるものです。

ありとあらゆる手段を使っては、人間を陥れようとしており、
それは、世紀末にはことさら激しくなるとあります。



無宗教、そしてある意味で仏教国である日本では、
キリスト教を受け入れる事は、
想像以上に難しいのも確かです (;-;)

しかしながら、欧米諸国でキリスト教の教えが浸透しているからといって、
これは決して西洋の宗教では無く、
全人類に向けられた福音であるのです。

今までイエス・キリストの存在を無視し、
私たちの罪の為に十字架に架かり死んでくださったという事を、
知らずに生きてきた自分を素直に悔い改め、

イエス・キリストを神として、救い主として受け入れるだけで、
聖霊があなたの心に働きかけて下さるでしょう。

イエスは

「私を信じなさい。

そうすればあなたも、あなたの家族も救われます。」と
信じるだけで救われるとおっしゃっています。

それと同時に、そのような神の寛大な無条件の愛に
ほとんどの人間が背き、決して気づくこと無く、
滅びに向かっている事を嘆いていらっしゃいます。

私たち人間は、例えどのような立派な者でも、罪を犯さない者など
誰一人としていないからです。

また、本当の「罪」とは、
ギリシャ語で「的外れ」という意味であり、
今の今まで、全てを創造された全知全能なる神様を知らずに生きて来た事、
そして、その神様の無償の愛である救いを無視している事を意味しています。

2000年以上経った今、
ありとあらゆる宗教、特にキリスト教を真似た数々の異端宗教がはびこり、
真実から遠ざける役目を果たしています。

神様の教えを忠実に守り、伝えていくよう努力をしているのは、
新約聖書に基づく忠実な教えをする
プロテスタントの正統なキリスト教であると信じています。

一人でも多くの人々に福音が伝わるよう願ってやみません (*^-^*)

イエスは又言われました
「私が道であり、真理であり、生命なのです。。。」



多くの人たちが一度は目を通されたり、
或いは手に取った事があると思われる聖書ですが、
祈りをこめて、まずは新約聖書から読み始め、
神様に「真実の目を開かせて下さい」と心から祈り求める事により
聖霊の力によって真実を悟る事が出来ると信じています。


最後に、日本語の言い回しがおかしく
読みにくい箇所も多々あったかも知れませんこの長い文章を
最後まで読んで下さったことを感謝いたします m(_ _)m
2009年3月3日

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、
あなたがたすべてとともにありますように。

コリント人への手紙 第二 第13章13節

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